43沢天夬九三その二九四その一

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澤天夬

爻辞象辞と象伝小象伝

九三。壯于?。有凶。君子夬夬。獨行遇雨、若濡有慍、无咎。

象曰、君子夬夬、終无咎也。

九三。?きに壯さかんなり。凶有り。君子は夬夬たり。獨り行きて雨に遇ひ、濡ぬるるるが若くにして慍いきどおらるる有れども、咎无し。

象に曰く、君子は夬夬たりとは、終に咎无き也。

〜昨日の続き〜

今五陽並び進むに獨り行きてと曰うのは、九三独りが上六と害応だからである。獨り行きては、其の心の思いを運ぶ所、己之を知り、天地鬼神之を知るも、人唯之を知らないという意味がある。

獨り行きて雨に遇ひの獨り行きてとは、沢天夬の物語において、上六と応じる関係にあるのは九三なので、九三が一人で上六の所に行くということだが、前述したように、九三と上六とは害応応じる関係が逆に作用する。すなわち対立する関係になることなので、九三は上六を一人で決し去るという役割を担っているということである。また獨り行きてとは、己の使命を知っているのは自分と天地神仏だけという孤独感を背負いながらも、上六を断固として除去すべく、その機械を窺っている九三の心境を物語っているのである。

雨とは陰陽和合の義、三と上と陰陽相応じ、澤天に上ることを言う。濡るるが若くとは、三と上と交和の意を形容し、雨の字より濡るるという字が生ず。

獨り行きて雨に遇ひの雨とは、陰陽応じ合うことの例えである。九三と上六が陰陽応じており、上卦兌の沢が下卦乾の天の上に在ることを言っている。濡ぬるるが若くにして慍いきどおらるる有れども、咎无しの濡るるが若くとは、九三と上六の関係の例えであり、雨と呼応している。

慍いきどおらるる有れどもとは、九三と上六陰陽相応ずるが故に、衆陽が之を疑って慍いかることを謂う。或いは其の跡を観て、其の心を察せず。故に慍らるる有れどもと曰う。

慍いきどおらるる有れどもとは、九三と上六が害応の関係にあることを誰も知らないので、周りの人には九三と上六が雨に濡れるように陰陽和合しているように見えて、九三は周りの君子から疑われて怨まれていることをいう。あるいは、周りの君子が、上六を除去することを使命とする九三の孤独な心境を理解してくれないことを、九三は怨んでいるので慍らるる有れどもと言う。

此の爻変ずれば互卦二三四離となる。慍らるる有れどもは、離目乾威の象である。然れども九三は剛直の性質があって、上六を嫉むこと殊に甚だしく、之に応ずるような不義があるはずもなく、之に害応して、終に上六を決し去ることを得る。故に咎无しと曰う。

九三が陰爻に変じると互卦二三四離となる。慍らるる有れどもとは、離の目が、乾の権威を利用している形離目乾威の意味不明である。けれども九三は陽爻陽位で卦極の剛強な性質なので、上六を除去しようとする決意が強く、上六に取り込まれるような不義を犯すことがあるはずもなく、終に上六を除去することを実現する。それゆえ咎无しと言う。

又曰く、歯も亦物を決する者である。今歯牙に壯ではなくて、?に壯であるのは、無用の地の勇気である。故に凶有りと言う。

また、次のように言うこともできる。歯もモノを決し去る道具である。爻辞に歯牙に壯さかんなりではなく、?きに壯さかんなり。凶有りとある。?きとは、頬骨のことであり、モノを決し去る道具ではなく、九三が上六を決し去ろうとする意志が固いことと、それが顔付きに現れて周りの君子から疑われることを示している。それゆえ凶有りと言う。

九四。臀无膚。其行次且。牽羊悔亡。聞言不信。

象曰、其行次且、位不當也。聞言不信、聰不明也。

九四。臀とんに膚ふ无なし。其の行くこと次且ししょたり。羊を牽ひけば悔亡ぶ。言を聞きて信ぜず。

象に曰く、其の行くこと次且たりとは、位、當らざる也。言を聞きて信ぜずとは、聰くこと明かならざる也。

膚は肉である。次且とは行こうとして進まないという貌かたちである。羊は上六を指す。九四が上卦兌の一番下に居るのは、羊が前に在って、四が之を牽くという象である。

臀とんに膚ふ无なしの臀とんとは、肉のことである。其の行くこと次且ししょたりの次且ししょとは、行こうとしても前に進まないことである。羊を牽ひけば悔亡ぶの羊とは、上六を指している。九四が上卦兌の一番下に居るのは、上六の羊が前に在り、九四が下卦の陽爻を率いて上六を決し去るということである。

〜明日に続く〜